ゆるゆるSEの日常

8年前の2月

お久しぶりです。

大学の定期考査も終わり、やっと人間の生活を取り戻しています。

今日は2月1日ということで、東京と横浜で今日から中学入試が始まります。私が受験してから8年も経ったことに気づき、ふわふわと懐かしい気持ちになります。

今回は私の受験の話を少ししようかと思います。

(すでに8年前の話はかなり古いので、現在の入試の参考には全くなりません)

 

 

私が中学受験を選んだきっかけは、小学校の同級生が嫌いだったからでした。「この人たちとあと3年間延長されるなんて絶対嫌だ!」と思った私は、親が私立でもいいと言ってくれたので迷うことなく私立を選びました。

毎週Nバックを背負いN能研に通う日々は特に面白くもなく、ただ塾にいる他校の友達に会うためだけの感覚で、授業の板書は取るけど帰ったら全く勉強しない子でした。

そんなやる気が皆無みたいな日々の生活はもちろん成績に如実に現れ、成績別クラスは一番下、模試を受ければ空欄ばかり、それを指摘されても上の空…私はどうしたいのか、何度もいろんな人に聞かれた覚えがあります。

そんな私が一転して成績を気にし始めたのは、学校見学を始めてからでした。

ちょうど新型インフルエンザが流行った時期でもあり、受験生の見学を断る学校もありましたが、いくつかの学校は受け入れていました。

見学を受け入れていた学校の一つである今の母校に見学に行ったときに、あまりにも在校生がキラキラしててこの学校に通いたいと強く思ったのを覚えています。どの在校生も笑顔で文化祭を楽しんでおり、とても日々の生活が楽しそうだったのです。先生方と生徒さんの距離はとても近く、在校生同士も笑いながら廊下を歩いていて、「私もこの廊下をあの制服で歩きたいな」と思ったのを今でも思い出します。

そんな行きたい学校が見つかった私にとって、成績は強敵でした。合格率80%と言われる偏差値水準に全く届かないのです。(いわゆる、チャレンジ校です。)

この中学の入試では国語に文字数指定のない記述と漢字の書き取り、算数に円周率3.14を含む計算、理科の作図が出されることで有名でしたが、国語の記述は壊滅的、漢字は書けない、計算も苦手、理科はかろうじて解けるけど日本語を読み間違えがち、という苦手のオンパレードでした。

そんな状態で最後の模試を終え、1月を迎えたとき、とりあえず基礎を固めようと母が言い出しました。今更かよ!と突っ込みたくなりますが、いろんな形式の難易度の低い問題をひたすら解くことでいつの間にかレベルが上がっていたらしいのです…今になって考えると、当時の成績の悪さは演習量の不足とも考えられますね。

そんなこんなで壮行会を迎えます。なぜか大泣きする私とそれを不安そうに見つめる室長でした。それまでお世話になった様々な先生に励まされ、最後に室長から一言いただいて帰ってきました。それでもまだ入試が始まる感覚はほとんどなく、スヤスヤと寝てました(っ﹏-) .。o

 

入試当日、お弁当など色々持って大荷物で試験室に入りました。机は椅子と机部分が合体した特殊な机です。

試験が終わるとお昼休憩を挟み、午後にグループ面接がありました。面接の待ち時間は在校生の方が様々なお話をしてくださり、緊張が程よく解けたのが嬉しかったです。

試験の出来はというと、算数の大問ひとつ全部空欄で出すなど到底受からなそうな結果だったと思われます。入学後に、数学の先生に「よくあなたそれで受かりましたね」と言われたくらい算数ができませんでした。

面接では入学後に知ったことですが、私の目の前に座っていた方は教頭先生でした。その方と目が合わせられず、くるくる回しながら質問に答えたことを今でも忘れられません。

 

翌日の夕方に結果発表があり、私と母で少し時間をずらして学校に見に行きました。学校に向かっている途中、目の前から同じグループ面接を受けた子が泣きながら向かってくる姿を今でも鮮明に思い出せます。私にとって入試がどんなものか、そのときやっと思い知った感覚でした。

 

ご縁があり、通いたい学校に入学できた私は様々なかけがえのない友人と経験とその他たくさんのものを得て卒業しました。

 

ちっともうまくいかないことも、全てが嫌になることなど、逃げたくなることもあったと思いますが、今日から頑張る受験生の方々が望む学校に決まり、素敵な学校生活を過ごせるようにお祈りしております。