ゆるゆるSEの日常

キリスト教と私

無事大学を卒業できそうなので、今回は「キリスト教と私」というテーマで振り返ってみたいと思います。

キリスト教学校の思い出

私は中高から大学をキリスト教学校で過ごしました。 どちらも日々の礼拝とキリスト教に関して学ぶ授業があり、各イベントでは特別な礼拝が守られることもありました。 気がつけば物心がついてからの半分以上の時間をキリスト教の世界で過ごしてきたわけですが、振り返ってみるとさまざまな出来事があったなと感じます。

中高

中高では各キリスト教関連のイベントの礼拝に加え、特別礼拝という形でハンセン病に関する理解を深めることや、国際問題を扱うこと、その他さまざまな社会問題に触れる機会がありました。

中高のイースターペンテコステ、クリスマスの他、宗教改革や収穫感謝では賛美礼拝や特別な礼拝が行われました。 特にクリスマス礼拝はキリスト教にとって大きなイベントであり、中高でも特別な行事として扱われました。 クリスマスの前のアドベントに入ると校内にリースやツリーが飾られ、日々の礼拝もクリスマスキャロルを歌うようになります。 渡り廊下にはJr.1が美術の授業で制作したステンドグラスが飾られ、馬小屋の飾りも置かれます。 クリスマス礼拝ではクリスマスページェント(降誕劇)とハレルヤコーラスを行います。

ハンセン病や国際理解の礼拝では、実際に経験したことや支援を行なっている人がお話ししてくださり、自身の生きている世界の狭さを感じるとともに、支援をすることへの難しさを感じました。

また、修養会と呼ばれる聖書に関する合宿型の勉強会もJr.1,Sr.1,Sr.3で行われました。 Jr.1の時に行われた修養会ではスタンツ(寸劇)を行い、私は放蕩息子(ルカ15:11-32)に出てくる不満を抱く兄の役を行ったことを今でも覚えています。 Sr.1の修養会では寒さのあまり体調を崩す人が続出したことや、部屋に人数分の布団が敷ききれず雑魚寝する事態、キャンドルサービスで友人の前髪が燃えたことなどがありました。さらに、講師として東日本大震災で被災された教会の方がいらっしゃり、オリジナルの賛美歌「エマオのおまえ」を紹介され、皆で歌いました。この「エマオのおまえ」は修養会後に隣のクラスでブームが起き、毎日終礼の時間になると隣の教室から聞こえてきていました(しかも熱唱してて、めっちゃうるさかった)。 Sr.3の修養会では日々の疲れと、中高最後の旅行ということで張り切り過ぎて礼拝中、聖書講話中に爆睡してました(本当にごめんなさい)。 その他、全ての修養会でキャンドルライトサービスが行われます。 普段は見ることのできないキャンドルの灯りのみの空間は忘れることのできない光景です。

大学

大学のキリスト教学の授業は中高ですでに教わったものばかりでした。 私の大学の日々の礼拝では、キリスト教の講義を担当する先生や、近隣の教会から講師を招きお話ししていただく形式でしたが、どの先生のメッセージも同じような内容で、聞くだけで疲れてしまうようになりました。 中高の各行事と比べるとどのイベントも華やかではなく、礼拝に参加すると中高時代の楽しかった日々が思い出されるようになり、自然とキリスト教から距離を置くようになりました。 次第に聖書も開かなくなり、大学構内でほんの少しキリスト教を感じる程度になりました。

キリスト教と私

私が一番最初に出会った聖句は、ルカによる福音書10章27節

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

でした。 中高ではこの聖句に対して、「自身を愛していない上に、利己的な人間である私が隣人を愛せるわけがない、そもそも隣人なんて誰なのかわからない。」と感じていました。 中高では様々なことを経験しましたが、隣人に対する愛や他者のために働くことが全くわかりませんでした。

中高を卒業した後、意図せず大学もキリスト教主義学校になり、さらに4年同じような世界が続くことになりました。 大学ではキリスト教を学んだことを活かして、他の一神教を学び比較することに興味を持ち、主にユダヤ教イスラム教との違いを学んでいました。

大学生活が後半に入った頃から、自分にとってキリスト教がどんなものだったかを考えるようになりました。 私にとってキリスト教は、初めて触れ、深く学んだ宗教でした。 その教えは私にとって大きく影響を与え、今でもその教えをもとに日々を歩んでいる面もあります。 この後半の日々では、特に自身が世になすべき務めを考えていました。 就活で将来を深く考えるタイミングだったこともあり、これまでを振り返った結果、私は隣人のために働きたいと感じました。 このとき、中高時代にはわからなかった、「隣人を愛する」こと「他者のために働く」ことがなんとなくわかるようになりました。 現在はキリスト教の考えから、義務を果たし、隣人を愛して与えられた役割を果たしていきたいと考えています。

私と宗教

私はこのような世界にいましたが、悩んだ結果キリスト教を信仰しないことを選択しました。 理由は神の与えし試練は全て乗り越えられるというキリスト教の考えでした。 東日本大震災直後の4月に中学へ入学した私は、礼拝のお祈りの中で何度も「どうしてあなたはこのような試練を与えられたのか」という問いを聞きました。 震災から数年経っても立ち直れない人々を見て、本当に私たちは全ての試練を乗り越えられるのだろうかと疑問を持ちました。 また、神が本当に全知全能で私たちの願いを聞き入れてくださる存在なら、なぜ苦しみ続ける人がいるのかといった疑問を抱えました。 これらの疑問は解消できず、結果的にキリスト教に対して親しい感情を持ちつつ、別の宗教を信仰することを選びました。 (もちろん、教会に通っていたわけでもなく、中高の日々を通じて知った教えをもとに考えたので、間違っている点はあると思います。)

長い間、キリスト教学校に通い様々な経験をする中で、キリスト教の文化やイベントは好きでした。 アドベントに灯される4本のろうそくやイースターエッグ作り、Thanksgiving Dayに食べるパンプキンパイなどなど。 今でも礼拝にお邪魔させていただくこともあります。 キリスト教の思想を全て否定するわけでもなく、部分的には自身の考えに取り入れ、生かそうとしている部分もあります。 一方で、どうしても一神教を受け入れることができず、私は多神教の考えなんだなあと微かに感じました。 そして、様々なものに神がいて欲しいし、神には得意不得意があって、すごく人間っぽい神がいて欲しいと思ったのです。 神様だって完璧じゃなくていいし、なんとなく助けて欲しいときに、なんとなく助けてくれる神様が気楽でいいなと思いました。 超越した力を持つ存在を信じつつ、日々の生活は神に頼らず自分で頑張ることを中心に考えたいと思い、最終的には神社に通うようになりした。

終わりに

私は宗教が大好きです。 宗教を知るということは、人間を知ることだと考えているからです。 私は日本ではタブー視されがちな宗教を、生活の基盤の一つだと考えています。 旧約聖書には歴史書に分類される書物(ヨシュア記〜エステル記の12の書)がありますし、日本には日本書紀があります。 これらは、民族の由来を説明し、アイデンティティを形成するものといえます。 宗教と文化は密接に結びついており、他の文化を理解するためには宗教を知る必要があると考えています。 アメリカの大統領の就任式で聖書の上に手を置いて宣誓を行いますし、様々な文学、建築、哲学などにもキリスト教の影響が現れています。 また、宗教はその宗教が生まれた土地の風俗や共同体を営む上で必要なルール、生活に関する知恵を伝承するツールの一つだと考えています。 旧約聖書の創世記から申命記モーセ五書と呼ばれ、律法についてを扱っています。 律法は神との契約で、破ってはならないものです。 その中身は礼拝のやり方などを含みますが、殺人や盗み、偽証を禁じる部分もあります(出エジプト記20章12〜17節『十戒』の一部)。 このように、宗教は自治を円滑に行うツールでもあったと言えるでしょう。 宗教は生活に大きく関わっており、切り離せない関係であるとわかります。

何かの宗教を信仰する事で強くなれることや、逆に脆くなることがあると思います。 しかし、何かを頼れることは素敵だと私は考えます。 私はキリスト教に出会い、勉強し、自身の知らない世界を知ることができたと共に、良き友人に囲まれました。 これらは私がどこにいようと大切にできる宝物です。 中学の入学式の日に私の名前を呼び、選ばれ、この機会を与えてくださった神に感謝して、終わりにしたいと思います。

最後に、私の好きな聖書箇所を一つ紹介させてください。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイ7:7-8)

私の友人たち、その他ご縁があった全ての人に私以上の御恵みがありますように。